成長して行く心

〜ココロの理論〜


子供の精神発達は、運動発達より、その判断がむずかしいものです。
「精神とは何か」・・・説明するのは、非常にむずかしいが、実際に
会話をしてみれば、理解し判断する能力が高いか低いかどうなのか、
また、答え方や言葉の使い方で、だいたいその人の精神機能を
推し量ることができます。


さて、チンパンジーと人の子を産まれた時から一緒に育てますと
4〜5才まではほぼ同等の発達をします。
★こういう実験をしたらしいです。
箱の中に「まる」「しかく」「さんかく」と順番に入れるように
指示しますと、正確にチンパンジーも人の子も入れることが出来ます。
同じ事を何度も要求すると、何度も続けて行動します。
ところが、人の子は行動をしているうちに、予想もしない行動にでました。
その子はこう聞いたのです。

「なんでこんなことをするの?」・・・と。

動物心理学者のプレマックは「なにをするつもりなのか」
「なにを知っているのか」「なにを考えているのか」
「なにを推測しているのか」「なにが好きなのか」といった
相手の心の内容が推測できれば、その動物あるいはヒトは
「心の理論」を持つと言ってよいと提案しました。
人とうまく生きて行くための能力をソーシャルスキルと言います。

 

ソーシャルスキルの分類

              A 非言語的ソーシャルスキル

 挨拶・・・・・・・・・・・・・・社会的な場の雰囲気を読み、それにふさわしい行動をとる
 強化行動・・・・・・・・・・相手の気持ちを察して、相手をイイ気持ちにさせる
 相互的行動・・・・・・・・友だちに親愛の気持ちを行為であらわす
 協力行動・・・・・・・・・・遊びや仕事で協力する
 非言語キュー・・・・・・・視線や身ぶりで気持ちを伝える
 歩調をあわせる・・・・・他人と歩調を合わせ、せかしたり無理強いをしない
 社会的フィードバックへの感受性
               社会的な相互作用の後、どのようにふるまうか知っている
 他人の行動の理解・・相手の行動の意味や意図を理解できる
 自分の影響力の認知・自分が他人からどのように思われているか、また自分の
                存在がどのような影響を与えるかを知っている
 他人との争いの解決・攻撃的にならずに、他人との争い事を解決できる
 場の支配・・・・・・・・・・その場を強く仕切らずに、仲間と関係を持つ事ができる
 社会的回復力・・・・・・人間関係で失敗しても、回復する事ができる
 自分の売り込み能力・仲間に受け入れられるように自分のイメージを作り上げることができる

              B 言語的ソーシャルスキル


 自分の気持ちを伝える能力・自分の気持ちを誤解されずに正しく伝える事ができる
 他人の感情を読む能力・・・・他人の気持ちを、他人の言葉から読み取る事ができる
 仲間言葉の理解・・・・・・・・・仲間同士の特別な言葉使いをうまく行う事ができる
 話題の選択と持続・・・・・・・・いつ、どのような話題を、どのくらい続ければよいのか
                   知っている
 ユーモアの使用・・・・・・・・・・適切なユーモアを会話にこめることができる
 話し方の切り替え・・・・・・・・・聞き手の種類によって話し方の切り替えができる
 他人の期待の感知・・・・・・・・相手が何を知り、何を期待しているのか知っている
 上手な依頼・・・・・・・・・・・・・・相手を傷つけないように依頼することができる
 誤解の解消・・・・・・・・・・・・・・言葉による誤解を解く事ができる
 感情調和・・・・・・・・・・・・・・相手の気分をよくするような話し方をする事ができる


◆こうした能力は、どのようにして身につくのでしょう。

じつは乳児は「他人の表情や視線を理解する能力」を持って産まれて来ます。
乳児は、相手の目に注目する能力によって、生後6ヶ月くらいになると目そのものでなく、その目がどこを見つめているのか、つまり視線を感知できるようになります。乳児を見つめていて視線が合うと、なかなか乳児は視線をそらしませんね。で、そのまま視線を合わせ続けると、 乳児と自分のあいだに、瞬時に強い関係が生じます。

   生後9ヶ月になると、視線を交わす関係は変ぼうします。
   視線を交わしていた大人が他へ視線を移すと、敏感にそれに反応します。
   移った視線の先に自分も視線を移動させるようになります。
   この視線の共有の事を「共同注視」といいます。

これは、乳児が他人は何に関心を持っているのか、理解する能力を身につけた証拠なのです。相手の関心がどこにあるのか、また、指差しを通じて自分の関心を相手に示す事も可能になる。
そうした相手と交流する、心を伝えあうの始まりは母親との交流です。
後天的にソーシャルスキルを育まれなかった場合、子供と母親との間に愛着関係がうまく形成されなかったことも原因になります。産まれたばかりの新生児は教えられもしないのに、母親の顔をじっと見つめる。それも、口元と目元を見ています。
母親の視線、言葉に反応します。母親もこの反応に合わせるように声をかけたり微笑んでみたり、お互いにひきつけあう関係ができます。

 しかし、子供はみんな、同じ能力を持って、産まれて来ているでしょうか。
 子供が産まれて来る前はどの母親も産まれて来る子供に期待と愛情を持っています。
 ところが、乳児にも優しく天使のような子供と、気難しい子供がいるようです。
 優しい子供を授かった母親は、愛着心をそのまま 持ち続ける。
 だが、気難しい子供を授かった母親は、いくら微笑んだり声をかけたりしても、
 色好い返事が貰えないという状態が続くうちに持っていた子供への 愛着心が
 醒めて行く・・・こともあるそうです。

わたしは「変わった子」とは呼ばれていましたが「ダメな子」と言われた記憶はありません。「変わってる」コトを、受け入れて貰えた『わたし』なのです。
もし、ダメな子と言われ続けて育ったなら、自分を理解しようとされなかったら、わたしはきっとコンプレックスのカタマリになって、自分でもどうしていいか判らない、混乱したままの大人になったでしょう。

(2002.11.21)

 心の治療論の中心は、抑圧された記憶をよみがえらせ、例えば過去のカタルシスを起こし、その記憶を人格と統合させることでした。つまり、トラウマとの関連性を重視していたんですね。
表面に現れている問題の底にある、心の傷。問題の根っこを探し出す。

 怒りをぶつけさせたり、そこから自分の過去に対する洞察を深めさせ、いわば自我を強くする。自我を賢くして感情をコントロールさせることが、治療法の目的、なワケです。たぶん。

 トラウマを無理やり掘り返したりすると、具合が悪くなる人も、いるのですよね。それまで、そこそこの問題を抱えながらも、仕事が出来ていた人が、「・・のせいで、こんな風になった」と荒れ始めたり、意識を向けさせたために、問題を大きくしてしまったり。。。そんな人を、何人も見続けているうちに、こんなことで、いいんでしょうか。と、考えました。
過去の傷のために、人が信用できなくなってしまっている人、不安になっている人、誰にも会いたくないと、ひきこもった人、誰も愛したくない・・など、いろいろな問題を抱えている人。などと関わっていくうちに、まず共感して、受け止め、人間というものは、それほどヒドイ人ばかりじゃないんだな、という感覚を実感させていくことで、心の傷は、癒されていくんじゃないかな、と思いはじめました。
 たとえば、ある場所に居ると「心地がよい」とか、「すごく愛されてもらっている・大事な人と思われている」という場所や人との触れあうことの方が、言葉で「あなたの、こういう反応は、こういう過去から来ているものですよ」と言われるよりは、分かりやすいような気がするのです。

 だいたい「あなたは、こう思っているんじゃないですか」とか「こうして欲しいと思っているのかな」なんていう分析的解釈を与える方法は、母親が子供を拒絶するときに使う言い方と、同じようなもの、のような気がします。普通、日常的には、そんなことを聞かずに、相手の望みを読んで、それに合わせて対応するものでしょう。
 なんとなく、「自分を解析される」のは、気持ちが良くない。
 そう感じるのは、わたしだけでしょうか。

自分にであう
その方法として、瞑想があります。注意点としては、必ず導師を得てください。
心が不安定になったとき、どこに向かえばよいのか、分からなくなる危険もあります。
これは、自己改革の道でもありますから、比較的安定した精神状態も必要です。
疑問を感じたり、理解できない事柄がありましたら、そのままにせず、お尋ねください。
では、お入り下さい。→ 瞑想の方法


心の傷のつくり方  ● 痴呆と老人の心理

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